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夏の暑い日

谷中遊水池へオートバイを走らせる
いつの頃からここに通うようになったのだろう
あのとき、あの感覚を知った時から
かもしれない。

違う感覚

Tシャツをバタつかせ、どこまでも続くジャリ道を高速で走る。
『ワァー』という大声で気を晴らした時、違う感覚が生まれた。

小石を弾くタイヤのブロック一つ一つ、 草むらの虫の動き、ウインドサーフィンする若者の声
どれも手にとるように感じる。

その時
自分を包む空間、すべてのものが等価の原理にあり、 高速で移動している自分をも内包した。

静かで落ち着いた瞬間。
すべてのことに安心できると思えた。

1997年7月、夏の暑い日に想う。

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谷中遊水池

正式には渡良瀬遊水池という。
『公害の原点』と言われる足尾銅山鉱毒事件により、 1907年明治政府が公害問題から治水問題へと農民の目をむけさせる為、 谷中(やなか)村一村を廃村させ、この広大な遊水池を作った。
現在、遊水池内の谷中湖(渡良瀬貯水池)ではウィンドサーフィンなどの ウォータースポーツが盛んにおこなわれており、 谷中湖周辺には谷中村史跡や運動場などが点在し、 トライアスロン競技なども開催されている。

 

足尾銅山鉱毒事件

1890年以降、十数年にわたって発生した日本近代最大の公害事件。
当時、全国一の銅山であった栃木県足尾銅山は有害重金属を渡良瀬川に垂れ流した。
そのため、渡良瀬川流域の農業、漁業に莫大な鉱毒被害を発生させ、農民の鉱毒反対運動が起こり、 ついには天皇への直訴にまでおよんだ。
さらに鉱毒反対運動が政治問題までいたると、 全国各地の鉱毒・煙害反対運動への波及を恐れた政府は、 鉱毒問題を治水問題へとすり替え谷中村を遊水池化した。

これは、外貨獲得産業として重要な産銅業保護政策 (いいかえれば富国強兵・殖産興業政策)の犠牲になったものである。

参考文献『日本大百科全書』